2年に1度催している研究会で演奏される曲の簡単な説明を“曲目の手引き”として小冊子にしています。少し抜粋をご紹介いたします。
*アマリリス*ヘンリー・ギース 1839~1908
パリ音楽院を卒業して貴婦人たちにピアノを教えていた作曲家でもあるピアニストのギースが古いフランスの旋律を集め「ルイ13世の歌」として1868年に出版した編曲集の中の1曲。
当時のフランス宮廷でよく踊られた2拍子のガボット形式。
色々な楽器で演奏され、世界中で親しまれている愛らしい曲です。
(アマリリスは百合に似たオレンジ色などの花の名前です)
補足:
”アマリリス”はルイ13世によって作曲されたとする説もありますが
現在はギースの作曲、またはフランスの民謡をギースが編曲したともされています。
フランス国王のルイ13世(1601~1643)は作曲家・歌手としても名を馳せた人です。
*ガボット*カール・ツェルニー 1971(2/20)~1857(7/15) オーストリア、ウィーン
ベートーヴェンの数少ない弟子の1人で現在までつながるヨーロッパのピアノ演奏法の伝統を確立したと言われています。
もともとピアニストを目指してベートーヴェンの弟子になったのですがデビューリサイタルを開こうとした直前に戦争が始まりピアニストの道を諦めざるを得なくなり、その後有能なピアノ教師となりました。
ツェルニーの弟子にはあのリストもいます。
彼は少年リストを「才能があって、よく勉強する弟子は初めて」と大変感激しリスト一家の面倒をなにくれとなく見て助けたそうです。又この暖かい取扱いをリストは一生涯忘れずツェルニーを恩人として敬愛しました。
膨大な数の練習曲を作ったツェルニーですが教則本だけでなくソナチネやエチュードのような小品もたくさん残しています。このガボットもそういった小品の中の1曲です。
*メヌエット*
ルードウィヒ・ファン・ベートーヴェン 1770(12/16)~1827(3/26) ドイツ、ボン
「私はモーツァルトの最大の崇拝者の1人として自負しているが、それは一生変わらないであろう」とベートーヴェンは述べています。
モーツァルトとベートーヴェンの偉大な音楽家のめぐり合いは、モーツァルト31歳ベートーヴェンが17歳の時にたった1度だけベートーヴェンが苦しい家計の中から旅費を蓄えボンからウィーンへとモーツァルトに会いに出かけたその時だけでした。
この時ベートーヴェンの演奏を聴いたモーツァルトは「諸君、この若者に注意したまえ!いつか彼の名は世界に知れ渡るだろう」と驚嘆の声を放ったということです。
ベートーヴェンはたくさんのメヌエットを作りましたが、このメヌエットは室内楽として作曲された曲の中のメヌエットです。
もともとは7重奏の曲ですが、あまりに美しいメロディーなので色々な楽器での編曲がなされ今日では馴染みの深いメヌエットの1つとなって親しまれています。
*トロイメライ*
ロベルト・シューマン 1810(6/8)~1856(7/25) ドイツ、ツヴィッカウ
音楽史に伝えられる大作曲家の最も美しい愛の物語はシューマンとクララのそれでしょう。
シューマンがクララを始めて知ったのは彼が18歳、その時クララは9歳のまだあどけない少女でした。シューマンはもともと法科に進み哲学にも興味を持っていましたが、それにもまして彼の心を捕らえていたのは音楽でした。ライプチヒ大学で法律を学んでいた頃に教授の家で催される音楽会へしばしば出かけ、そこでピアノを達者にしかも美しく弾くクララと出会いました。
その後シューマンはクララの父ヴィークにピアノの稽古を受けるようになり、法律の勉強を捨てて音楽家になる決心をします。20歳の時でした。
熱心な練習をし過ぎたために指に障害を持つこととなってしまったシューマンはピアニストとしての演奏活動を断念し作曲に専念するようになります。
28歳の時、愛するクララへの想いを胸に”子供の情景”と題したピアノ小品集を作りました。
”トロイメライ(夢想)”は13曲からなる小品集の7番めの曲です。
クララの父ヴィークに裁判まで起こされたクララとの結婚はシューマンが30歳の時にようやく認められることとなります。美しい歌曲をたくさん残していますが、その多くはクララと結ばれた頃からの作品です。
補足:
シューマンのピアノ曲はやさしいモチーフの曲でも演奏が困難な曲が多いのですが、
それはシューマン自身が手の障害のために作曲した曲の演奏が出来ず、クララに演奏して貰ったからと言われています。
クララが困難な曲でも楽に弾いてしまうピアノの名手だったので仕方ないですね。